
事業家集団にいた頃の写真を見返すと、楽しそうに笑っている自分がいる。
仲間に囲まれ、目標を語り、経営者の話を聞き、休日には大人数で集まる。会社と自宅を往復するだけの生活とは違い、毎日が刺激的だった。
外から見れば、充実した日々を送っているように見えただろう。夢に向かって努力する若者たち。前向きな仲間。華やかなイベント。次々に語られる成功体験。
けれど、その中にいた私の感覚は少し違っていた。
もちろん、楽しい時間もあった。出会えてよかったと思う人もいる。ただ、当時の私を最も正確に表す言葉は「充実していた」ではない。
「必死だった」
これが、3年間在籍し、内部でリーダーという立場まで経験した私の率直な答えである。
1.華やかな場所に見えたのは、止まっている人がいなかったから
事業家集団に入ったばかりの頃、周囲の人たちはとても輝いて見えた。
会社員として働きながら将来の夢を語り、空いた時間に人と会い、勉強会や講演会に参加する。疲れていても笑顔で、いつも前向きな言葉を口にしていた。
「絶対に成功する」
「今の努力は将来につながる」
「普通の人生で終わりたくない」
そうした言葉に触れていると、自分も何か大きなことができるような気がした。何者でもなかった私にとって、夢を真剣に語れる場所は魅力的だった。
しかし、時間が経つにつれて気づいた。
華やかに見えた理由は、みんなに余裕があったからではない。むしろ、立ち止まる余裕がないほど動き続けていたからだった。
仕事が終われば誰かと会い、予定がない日は次の約束をつくる。夜には振り返りをし、翌日の行動を考える。休日も勉強会や人との約束で埋まっていく。
忙しいことが努力の証明になり、予定が詰まっているほど前進しているように感じた。
外から見れば「行動力のある人たち」だったと思う。だが、その内側では、止まれば置いていかれるような焦りを抱えていた人も少なくなかった。
私自身もそうだった。
予定のない日があると安心するのではなく、「今日、何も進められていない」と不安になった。休むことにも理由が必要で、疲れている自分を素直に認められなかった。
2.「頑張っている自分」を演じないと苦しくなった
事業家集団の中では、前向きであることが重視されていた。
うまくいかないときには原因を自分に求め、結果を出している人の考え方を学ぶ。言い訳をせず、行動を変える。この姿勢そのものは、仕事や人生でも役に立つものだと思う。
問題は、それを意識しすぎるあまり、本音まで隠すようになったことだった。
本当は疲れている。
思うような結果が出なくて苦しい。
お金の不安がある。
人を誘うことに抵抗がある。
この活動を続けた先に、自分が本当に望む未来があるのか分からない。
そう感じても、当時の私は簡単には口にできなかった。
弱音を吐けば、「覚悟が足りない」「目標が明確ではない」「まだ本気になれていない」と思われる気がしたからだ。
そのため、「大丈夫です」「やります」「もっと頑張ります」と答えることが増えていった。
結果が出ていないときほど、元気に振る舞った。迷っているときほど、夢を強く語った。後輩の前では、自分が不安を抱えていることを見せないようにした。
いつの間にか、成功するために努力しているのか、「努力している自分」を周囲に見せるために動いているのか、分からなくなっていた。
SNSや写真に残るのは、笑顔で集まっている瞬間だけである。
その日の帰り道に感じた疲労や、自宅に戻った瞬間の虚しさまでは写らない。華やかな一枚の裏側に、何度も自分を奮い立たせていた現実があった。
3.離れて初めて、必死だった自分に気づいた
事業家集団を離れた直後、私はすぐに解放感を得られたわけではなかった。
予定が減ると、取り残されたように感じた。連絡が少なくなると、自分の価値まで下がったような気がした。長い間、「動き続けること」と「成長すること」を結びつけていたため、何もしない時間の過ごし方が分からなかった。
しかし、少しずつ日常を取り戻していく中で、ようやく気づいた。
私は、ずっと必死だった。
周囲の期待に応えようとし、結果を出そうとし、弱い自分を見せないようにしていた。自分で選んで頑張っていた部分もある一方で、途中からは「辞めたら今までの努力が無駄になる」という怖さに動かされていた。
事業家集団で過ごした3年間を、私はすべて否定したいわけではない。
行動する力は身についた。多くの人と関わり、自分の未熟さにも向き合った。会社員として働くだけでは得られなかった経験もあった。
ただ、成長できたことと、苦しかったことは同時に存在する。
良い経験があったからといって、しんどさをなかったことにする必要はない。反対に、苦しい経験があったからといって、そこで出会った人や学んだことまで全部否定する必要もない。
外から見える華やかさだけでは、内部にいる人の本当の状態は分からない。
笑顔で夢を語っている人が、心の中でも希望に満ちているとは限らない。忙しく動いている人が、自信を持って進んでいるとも限らない。
あの頃の私は、輝いていたのではなく、輝いて見えるように必死で走っていたのかもしれない。
もし今、同じように走り続けている人がいるなら、一度だけ立ち止まって自分に聞いてほしい。
「私は本当にこれを望んでいるのか」
「誰にも評価されなくても、同じ努力を続けたいと思えるのか」
立ち止まることは、逃げることではない。
自分の人生を、自分の意思で選び直すために必要な時間なのだと思う。


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